書評たち

日記

アルビノの少女が効き目のない呪いのために豚のように屠殺され、その髪の毛のような すじ雲 ( シーラス ) が、地球の十キロ上空から我々の街に夜を引きずってきた。そのときにお前の寝室の窓ガラスに石がぶつけられる。お前は目覚めて、窓ガラスのむこうにクラスメイトのだれそれの姿を認める。そいつはお前を連れ出しに来ていて、お前は連れ出される。七夕の前の日、七月六日のことだ。

おそらく、我々の想定する物語や人生というものはこのように始まるべきだった。しかし、ほとんど全ての物語はこのように始まらないし、したがって当然、我々の思っているようには終わらない。


以下に、今週読んだ本やアニメの書評を書く。生物系の本が4冊に、アニメ映画が1本だ。どうでもいいが、夏アニメは『デカダンス』に期待している。キャラがかわいいからだ。私を裁きたまえ。


花とアリス殺人事件

最初に言っておくが、私は道満晴明のファンで、道満晴明が漫画版を書いている方の『花とアリス殺人事件』がかなり気に入っている。道満!!!神!!!って感じだ。買え。

花とアリス殺人事件』は岩井俊二が監督・脚本・原作をやっているアニメ映画だ。

あらすじ

転校してきたアリスなる少女が、転校初日からなんか無茶苦茶ないじめを喰らう。マジ無視とかされる。それはどうやら、『4人の妻に殺されたユダ』に関係していることが分かる。そのうち、引っ越してきた家の以前の住人が、その殺された方のユダだったことをアリスは知る。

色々やっていると、アリスの隣の家に住む花という引きこもりがユダについて知っていることをアリスは聞く。というか、花はユダが死んだかどうかについて知りたがっている。なんかマジ本気だし。アリスと花は手を組んで、ユダの父親がやっている会社に訪れることを画策する。ユダの名前を騙って、ユダ父を呼び出せば、

  1. もしユダが死んでたら、父親は驚いて出てくる
  2. もしユダが死んでなかったら、父親は「何だよダリいなあ」みたいな感じで出てくる

ということだ。

ところが、アリスは全然違う老人とユダ父を取り違えてしまう。作戦は失敗する。すごい性の隠喩がすごいシーンが大量に挿入される。迷いに迷ったアリスと花は駐車場で一晩を明かす。トラックの下はエンジンの熱が残っていてまだ暖かかった。

ユダが転校する間際、花はワイシャツの襟にクマバチを入れてしまい、それがユダを刺し殺してしまったのではないかと思い悩んでいると花は語る。夜が明ける。二人は家に帰る。ラストシーン、花とアリスは偶然、通学していたユダに会う。ユダは元気そうだった。


感想

私の要約力がカケス並みだと言うのもあるだろうが、ストーリー展開はかなり破綻している。色々不要なものが多すぎる。プロットの重み付けもかなりいい加減だし、もうちょっとちゃんとやってくれという感じがする。

特に、ストーリー序盤で『昔、いじめられていたが、ユダが"取り憑いた"と装うことで教室全体をガチでドン引きさせて、いじめから抜け出た』という無茶苦茶なキャラクター(陸奥睦美)が出てくる。陸奥はショートヘアの上にウィッグをかぶって、『一夜で髪が激伸びしたように見せた』というエピソードを持つ。マジでかわいいのだが、陸奥は物語中盤からマジで一切姿を見せなくなる。

母親が作家という特徴付けも、無意味に物語を複雑にしているが、まったく重要ではなく、見せかけだけだ。ユダが4人の妻に殺された、というのも、4という数字にも、それぞれの妻にも必然性やキャラクターが付与されていないので微妙だ。ユダのキャラクターの掘り下げもほぼなく、あまりしっくりとは来ない。単になんかユダがたくさん告られているという事だけが分かる。

(こういうことを書くのは、道満版がものすごいコンパクトかつ正確に書かれていることに起因する。『ヴォイニッチホテル』、『ニッケルオデオン』でも思ったが、道満晴明作品は、拾いきれなかった伏線を隠蔽することと、大げさに伏線を回収することを特徴に持つ。)

ロトスコープなる技術を使って作画されているようだ。『悪の華』のアニメ版のようなニュアンスを受けるが、あれよりももう少し『アニメ』的な絵になっている。このような作風がロトスコープと受け取られるのはまずいと考えるので、『かぐや様は告白らせたい』の書記ダンスへのリンクを張っておこう。

また、背景は実写をレタッチしたものが使われている。これには賛否両論あるだろう。

特に、明るい場面――『昼の路地』のようなロケーション――では、かなり「ああ、写真をレタッチしたなあ」という感じがする。個人的には、いくつかの場面をのぞき、このレタッチはあまり成功していないと思う。というのも、『動く』オブジェクトと『動かない』オブジェクトが一発で分かってしまうので、画の全体としての統一感が損なわれているからだ。

一方、いいと感じた部分は、《運動会を抜け出した陸奥とアリスが教室内で語る》場面だ。ここは教室の廊下側から窓側を見る逆光のシーンになっている。白く抜けている窓を青くレタッチすることで、眩しさやノスタルジーを演出することに成功している。見るべき場面だろう。

一方で、アリスが家の階段を駆け上がるシーンはなぜか3Dモデリングが行われている。これは統一感を損ねている。


小池伸介:クマが木に登ると

フィールドの生物学12 クマが樹に登ると』は、現在東京農工大学で准教授をやっている小池伸介による自身の研究の総ざらい+エッセイ+論文の要旨というような本だ。一見、テーマがぶれているように見えるが、『フィールドの生物学』シリーズの特徴は、このような個人の体験を交えた長期スパンの研究紹介というところにある。

クマの糞便調査から始まり、クマの種子散布者としての性質研究、そして糞便を利用する糞虫の研究までがストーリー性を持って語られていて、非常に面白い読み物だ。

序盤は、時代が古いせいもあって、GPSが利用できなかった時代のクマ研究のつらさが語られていて面白い。中盤・終盤にかけても、総じて執念を感じる研究デザインであり、フィールドの研究者がもつフィールドへのこだわりを感じられた。例えば、『糞虫によって種子はどの程度運ばれるのか?』という疑問に答えるときに、単純に考えれば(広義)研究室内に環境を整えて、そこで糞虫に糞を運ばせればいいように見えるが、筆者はフィールドで実際に糞を運ばせる、というアプローチを取る。糞内の種の散布についても、どの程度散布されるか、筆者は種の入った糞便をしばらく放置した後、(おそらく)徹底的に周囲を探索して個々の種の運命を追う。

こういうアプローチは『クールに』やるのを是とする分子生物学者たちからすればかなり驚異的なアプローチだ。


丸山宗利:アリの巣をめぐる冒険

フィールドの生物学 8 アリの巣をめぐる冒険』は、九州大学で准教授をやっている丸山宗利による自身の研究の総ざらい+エッセイ+論文の要旨というような本だ。記述の多くは、アリと(広義の)共生をして暮らしているハネカクシ、こだわって言えば好蟻性のヒゲブトハネカクシ亜科についての研究に割かれている。

博物学者はこういう感じだよなあという記述が多く、かなりウケてしまう。私的な話になるが、採集や生物の同定を好む人間の住居というのは、多くの場合、収斂的な発展をする。つまり、部屋は独特の臭気に包まれ、所狭しと捕獲してきた獲物が置かれ、冷蔵庫には食物と餌と『何か』が収納され……といった具合だ。丸山の記述を読んでいても、そういう気配を感じることができる。笑ってしまう。

彼のフィールドに対する熱意もそうだが、ときどき死にかけるのも迫力がある。蛇に噛まれたとき、「死ぬことはない」と書いてあるのでたかをくくっていたら、指先から二の腕までパンパンに腫れ上がり、「死ぬことはない、とは、死なない程度にひどいということなのだ……」と感慨にふける記述は読んでいて笑ってしまう。

おそらく、生物学の研究とは記述と統一の間で揺れ動いており、私は主に統一側の人間だが、もちろん、記述側の人間がいないと生活はままならない。お互いに影響を与えていけたらいいものである。

(余談だが、このような『統一』側の人間は、往々にして市井の『生物学者』像からはかけ離れることが多い。植物を専門にする分子生物学者が、植木の相談をされる、というジョークまであるくらいだ。なお、私はもっとひどく、ブナ科の樹の同定もできない)


更科功:進化論はいかに進化したか

進化論についての古生物学者の書いた新書だ。古生物学者が進化論について新書を書くとこうなるというのがよく分かる。批判する意図は全くなく、進化生物学者が書くともっと数理よりになり、分子生物学者が書くともっとタンパク質よりになり、遺伝学者が書くとタイムスケールはもっと短くなり、植物学者が書くと……もっと……独特になる。生物学者の細分において、植物学者はかなり独特な位置を占めるのだ。

全体としては相当まともに書いてあり、いくつかのテクニカルな用語の定義が微妙だったり、18章からの議論がややスロッピーなことを除けば、ヤバいところはない。ハーディ・ワインバーグ平衡に紙面が割かれているのも好印象だ。不満な点を少しだけあげておこう。これらは深刻なミスではない。

まず、自然選択のかかる単位が個体として措定されている。一方で、変異が加わる単位(変異の単位ではない)としては遺伝子やゲノムや個体の表現型など、いろいろブレが見られる。歴史的経緯から言ってもしょうがないところではあるが、ここはちゃんと統一してほしい。例えば、

遺伝的浮動が強く作用していれば、少しぐらい有害な突然変異でも固定されることがある。固定されてしまえば、こっちのものだ。同じ遺伝子に、また新たな突然変異でも起きない限り、その有害な突然変異が起きた遺伝子でやっていくしかないからだ。

この記述はかなりぶれている。特に、「こっちのものだ」という言葉がどっちのものなのかを特定しようとすると、色々つらいことになる。

関連して、『自然』と言ったときに何を差すかを明言しないと初学者にはわかりにくいだろう。特に、性選択や頻度依存淘汰においては、『自然選択』の指す意味が直感的な意味とはずれるように私は思う。

最後に、おそらく紙面の都合上、削らなければならなかったのだろうが、性選択と血縁淘汰は少しでも書くべきだろう。ここを書いておかないと、後半の議論でいくつか難しいケースが出てくるし(働きアリが生まれる意味がほぼ無くなる)、「羽毛恐竜は雌を誘うために羽を使っていた」のような議論を――性的ディスプレイの議論を密輸して――使わなくてはいけなくなる。


海の外来生物

リンクはここ。日本プランクトン学会・日本ベントス学会が論文を集めて成書にしたもの。

内容は、日本から『輸出』された外来種、日本へ『輸入』された外来種の具体例を取り上げながら、その遺伝的・形態学的な分類に基づいたサーベイや総説がいくつかと、これら外来種の定着をもたらした原因についての研究、その一大要因として挙げられているバラスト水(貨物用船舶が陸に貨物を下ろした後、代わりに船体に積む水)についての規制に関する論文が数本だ。

さすがに11年前の本になると、記述が相当に古いものも多く、利用するにはもう一度調べ直す必要があるだろう。当時は採択されたのみで効力が発生していなかった船舶バラスト水規制管理条約はすでに発行されている。例えば、外務省のページで見られるPDFの43ページなどを参考にするといいだろう。

ただし、記述はなかなか鋭いものが多く、参考になる。ここから、一歩進み、船舶はバラスト水を外洋において放出し、一週間の『クールダウン』を設けなければならないという規制が敷かれた未来を考えることもできるだろう。そして、それに従わない――一週間の遅延は莫大な経済的損失だ――闇貿易をする船舶を停泊させる仕事を考えることもできる。

ストーリーの主人公は、このようなパトロール船でアルバイトをしており(人材が払底しているのだ)、一隻の商船を停泊させるケースにかり出される。彼らがチリの西で捕まえた船の労働者たちは、何か異常な焦りを見せ始める。バラスト水を早く『放出』しないとまずいんだという。聞く耳を持たず、パトロール隊は船を停泊させ続けるが、徐々に、船乗りたちが一人ずつ闇夜に消え去っていく。何者かが、船底で、バラストタンクの中でうごめいているのが分かる。その影が忍び寄ってくる……これはパニックホラー系の話になるだろう。SFを入れたければ、『全滅領域』を参考にするのもいいだろう。クトゥルー的な味付けも可能だろうが、クトゥルー系の話はかなり使い古されたクリシェだと個人的には思う。

今週は以上である。