バンダイナムコエンターテインメントさんそろそろ『生っすか!?サンデー』やってください

タイトルについて

アニマスしか見たことないですけど。


会食について

LW氏と飲み屋に行った。私は実世界だと明るく気さくな青年で、他人を煽り散らしてしまうという悪癖がある。私の 同行者 ( カンパニー ) もそのような種類の青年だったことも付記しておこう。

ところで、LW氏の書いたブログを読んでから、Web小説のほうを読むことを勧める。なかなか面白い。もちろん、思想系から距離を取るタイプの応用政治哲学者は色々と突っ込みたくなるだろう。

例えば、眼鏡は自由と平等をかなりの割合まで達成できていると私は考える。ここで言われている『自由』と『平等』とは一体どういう種類のサブカテゴリに入るのか? そのカテゴリ内にあるものは同様に背反しない形で改善できるのか? もしくは、我々は眼鏡によっては、実はどのようなものも達成できていないのか? ここは私の知恵が及ばない領域だ。付言しておくと、私は極めて目がいい。ばっちりだ。

加えて言えば、アナーキズムという思想もある。彼らは、我々が結んでいる契約をいったん全てゆるめ、それを再び、我々自身の決議によって締結することを求める。このくくりはアナキストに言わせると雑すぎるが、暫定的にこう言おう。

例えば、我々は普通に『教育を受けさせる義務』(第26条の2)というが、これは私が誰かと締結したものではない。勝手に決められていたのだ。ふざけるな。9年間の教育で私の子供が毒電波を受けて自民党に洗脳されるなど耐えがたい。ヘリとかマジ思考とか読んできてるし。NHKが悪いんですよ。私にはやり直しを行う権利があるはずだ(さもなくば、独裁国家に生まれ落ちた人間は、決定的かつ不可避的に独裁的なシステムに組み込まれる)。一言で言えば、自発的な契約以外の契約は、全てうその契約である、というのが、アナキストたちのテーゼだ。

アナキストたちは自治区と呼ばれるものを定義し、そこで全ての契約をいちからやり直す。CHAZは記憶に新しいところだ。これは(私はそう呼ばないが)自由を作成し、そして(私はそう呼ばないが)平等を作り出す。我々が自発的に制約を取り決めない限り、全ての行動は可能で、一切の肩書きは無効になる。 芸術 ( アート ) とやらが跋扈して、なんとなくいい感じになる。

明らかに、この思想を私は全く信用していない。前述のCHAZについてはこの記事を読むといい。理由は、ニューロンから森ビルに至るまで、我々の身体と周辺には、隅々まで徹底的に社会構造が染みついていて、それを『新規まき直し』するのは不可能だからだ。ウィトゲンシュタインも言うように、我々は真空に生きているのではない。

しかしながら、小説の圧倒的なところは、『新規まき直し』が本当に可能なところだ。ここは考える余地が残されているが、私は単に音を上げている。きゅ(これは音だ)。


ブログについて

私はよくブログをやれと他人を脅迫している。一度は包丁を持ち出した事もある。そのときは、私にとっては不満足な結果に終わった。向こう側にとって不満足な結果だったかどうかは、もはや確かめる手段がない(警察の方へ:この記述は嘘です。私は本当に善良で無辜な小市民です。ところで足立区の婦警は美人が多いですね)。

脱線してしまった。とにかく、ブログはまとまった形で長文を書けるメディアだ。Twitterと違うのは、改竄が極めて容易で、構成に関して莫大な自由度があることだ。ブログだと読んでもらえない? そもそも、お前のTwitterなんか誰も読んでないからな。みんな2秒で忘れてるからな。ブログでやっても同じだぞ。noteでもいいぞ。備忘録とか書け。

ところで、長大な文章を私は生成しつつある。タイトルは『日本が先進国になるには霞ヶ関に東大生を洗脳させて年収2000万で雇わせるしかない』というもので、これはこのブログで7月中に出るか、それよりも期間を空けた後で、別の媒体で公開されるかもしれない。おそらく前者だろう。


福岡伸一:『動的平衡』

http://www.kirakusha.com/book/b213408.html

かなり微妙だった。忌憚ない意見を述べると、『悪い』の方にはいる。ゴルフしか娯楽のないウザい中間管理職が休日に読んで、月曜日に会話のネタにしてくる系の本だ。校長先生も読むかもしれない。


尾形 聡子:『よくわかる 犬の遺伝学』

https://www.seibundo-shinkosha.net/book/pets/19393/

これも『悪い』方に入る。概ねは正しいのだと思うが(私はイヌに詳しくない)、細かいところで間違いが多い。例えば、19ページに『染色体がない細胞はないんです』という記述があるが、これは間違いだ。哺乳類の赤血球は脱核するため、染色体を持たない(参考文献:https://seikagaku.jbsoc.or.jp/10.14952/SEIKAGAKU.2017.890359/data/index.html)。読むときは気をつけて読まれたい。


ジョナサン・ウルフ:『「正しい政策」がないならどうすべきか』

これはなかなか面白かった。応用政治哲学は私のスタンスに近く、刺激的だ。動物実験やギャンブル、ドラッグ、安全性、犯罪と刑罰、健康、障害、自由市場と言ったテーマに対して、『今あるものはしょうがないし、ラディカルなものは受け入れられない』という原則から開始して、いったいどこに難しい議論があり、境界問題を終わらせないといけないのはどこなのか、というところに行き着くまでのメソッドが述べられている。

『ルールは無矛盾であるべきだ』という思想を最上のものに掲げる場合は、読むのがそうとうつらいだろうが、現実とはそういうものだ。