日記

日記

どうやらやや異常に時間が経っていたらしく、光陰矢の如し、月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり、 10年は一昔、ということを思った。何を言っているんだ?

何にせよ、近年では、夏が終わり、秋がやってくるという事態に発展し、これがいわゆる自民党の総裁選を引き起こす事態になったことは言うまでもないことだが、 やはり総裁選の前に悪辣な策略をもってなんとかがどうの。私は本来、もう少し病的なことを書くつもりだったし、 実際に一度ならず書いたのだが、あまりにも書くことに意識的になりすぎたあまり、消してしまった。 少しだけ話しておくと、自分のレピュテーションをあげるために、災害を意図的に引き起こし、どうの、と言うつもりがあったのだが、 これは明らかに、具体的に触って、見ることが出来る種類の人権を無視している。 というのも、原則として、いわゆる政治というものが人間を利用することはあってはならず、災害を利用することによって、 間接的にその被災者をも利用している、というのは明らかであるから。

私は何を言っているんだ。

17歳の時の文章と比べると、最近、私が書くものは明らかに劣っている。下手になっている。 流暢な流れはなくなって、比喩も極めて減退した。 詩がどういうものか、私にはよくわからなくなり、あの全能感、未成年が持てる種類の、全く前提条件を 要求しない種類の全能感も、すっかり消えてしまった。 なんとも悲しいことだ。 今、私には、自分が書いているものがよく分かる。私は自分が書くものについてあまりにも意識的になっている。 文体のレベルから、その直感まで私にはわかるようになってきている。 私は徐々に冷めてきている。

一方で、私は、少しずつ、自分が書くべきものについて、まだ書かれていないたわごとについて知るようになってきているし、 それを書くための技術について理解し始めてきているし、それを書くための気力(これがまさに重要だった)も蓄えてきている。 私は何かを書いている。それはたわごとである。例えばこのようなたわごとだ。

 昔、私の英会話教師が、彼の高校時代について喋ってくれた。高校の時の彼には、ほとんど友人がいなかった。そのうちの一人に、学年で一番頭がよく、そして一番フリーキーな人間がいた。彼の名前を、英会話教師は思い出せなかった。何にせよ、その変人は、MITに合格し、現在では設立したベンチャーを売り払って、悠々自適の生活に邁進しているとのことだった。

 その友人が、高校三年生の時に、誕生日パーティを開くと予定を立てた。彼は招待カードを大量に刷って、クラスメートに配り回った。両手で差し出しさえした。渡したうちには、それまで全く話したことのないやつ、彼をロッカーに押し込んだやつ、彼の横を通り過ぎるたびに、彼の胸を殴るようなやつまでいた。そこにはパーティが始まる時間が書いてあり、彼のママが料理を作ることや、ビンゴゲームをすること、プレゼントは喜ぶけど、必要というわけではないこと、などが書いてあった。要するに、彼は小学生の時にやるべきことを、今やっていた。

 パーティに関してはありがちなことだが、高校生だった私の英会話教師は、時間を遅らせてパーティに行くことにした。それはそうだ。誰だって、たいして盛り上がってもない状態で「うーん、じゃ、始めるかぁ……」みたいな乾杯よりも、「いえーい! 遅れちゃった! ごめん、どう、盛り上がってるー!?」みたいな乾杯をしたいに決まっている。少なくとも、彼はそういうタイプだった。一九時からパーティは開始だった。英会話教師と、その妹は、一時間遅れて家を出た。着く頃には、すでに二十時を回っていた。日は暮れていた。そのフリーキーな友人の家の前には、ほとんど車が止まっていなかった。

 彼は妹と顔を見合わせた。妹が「乗り合わせで来たんでしょ。帰るときは一緒にすれば、タイミングを逃さないし」と言った。そのとおりだと思った。本当は、思うことにしたのだった。

 ドアを彼は開けた。そこには、二人を除いて、誰もいなかった。友人とその母以外は。テーブルの上には大量の料理が並んでいた。チキンの脂が冷えて白く固まっていた。揚げ物はべったりと湿気を帯びていた。クッキーは形良くもられたまま崩れていなかった。クラッカーがまだ口を開かずに並んでいた。母親と息子もそうだったのだろう。

 これが、彼の友人の誕生日にまつわる話だ。