私が15歳で死んだ時の話

日曜日。馬鹿げた文章を湯船一杯分も読んだ。

こういう言葉のある文章を読む楽しさは、ヴォゴン人の詩を読む楽しさと同程度だ。

奴らはそのうち、インターネットで『飲み会とSEXと多肉植物に詳しい』とかいう肩書きをひっさげて、「ちんぽ測量士ペコパ」みたいな名前でWebマガジンの連載を抱えることになる。

Twitterで何回かバズる。タイトルは『一ヶ月毎日腹にメジャーを巻いていた頃の話』とか『コンビニで売ってる雑誌のモデルの年齢を調べて分かった驚愕の事実』とかだ。

もう少しすれば、立派に性的搾取の被害者になる。強請ったカネで銀行員か公務員と結婚する。配偶者についていって山梨に住むようになる。

一切のモラリティを排除して言えば(モラルとは不確かで信用ならない)、私はこれらの行動に一つを除き批判する点を見つけられない――いかなる人間にとっても、山梨に住む意味はない。

メモ

小説のとんでもないところは、 媒体 ( メディア ) に関する任意性が極めて大きいところだ。昔の人の本が読めるってすごいねという話ではない。紙に印刷しても、電子書籍でも読めるという話もしていない。オーディオブックがあったり、『大きな活字の本』があるという段階の話でもない。上手く書かれた本はもう破壊的な力を持っている。私はロシア語をほぼ介さないが、それでも『カラマーゾフの兄弟』を読むと屈服せざるを得ない。

ジョエルが言った、「きみの眼鏡、ごめんね」

壊れたかけらは、緑色の雨だれのように地面にまき散らされている。かがむと、彼女はそのかけらを拾いはじめたが、やがて考えなおしたのか、また元のようにばらまいた。「あんたのせいじゃないわよ」と彼女は淋しそうに言った――「たぶん……たぶんたまいつか、別のを当ててくるわ」

Joel said; 'I'm sorry about your glasses.'

The broken pieces sprinkled the ground like green raindrops. Stooping, she started picking them up; then, seeming to think better of this, she spilled them back. 'It's not your fault,' she said sadly. 'Maybe... maybe some day I'll win another pair.'

これはトルーマン・カポーティのOther voices, Other rooms(『遠い声 遠い部屋』)の翻訳と原文だ。翻訳をすることで、細部は不可避的に変わる。しかし、ここには何か 不変なもの ( インバリアント ) がある。我々はこの文章を読んで、それぞれ適当な想像をするのだが、何か中心概念は定まっていて、それを起点に話すことができる。

おそらく、ちまたで翻訳可能性と呼ばれているもの、『小説の理不尽な身軽さ』とでも呼ばれているものの根源は、このような不変性に求めることができる。翻訳に対しても媒体の変化に対しても損なわれない概念を書くように、人は求められるし、そもそも書くとはそのような行為を強制する。ラディカルな見方をすれば、言葉とは実物や概念への対応物でしかなく、ならば不変性に不可解さはない。なに、ブーバはとげとげしいと私は思うし、キキは丸っこいと私は思う!


だらだらと書いてしまった。短く言おう。前回の日記はよくない。なぜならアクセシビリティが担保されていないからだ(短く言うことのなんと簡単なことか!)。


昨日の夜、私はこの事実に気がついた。Twitterでボコボコにされていると思った。私の人権は完全に剥奪されたはずだった。次のものがさらされたと思った。

アガンベンのいうところでは、我々の政治システムは、禁制された残虐さを吐き出す例外的な対象物として人間を規定しうるが、私はこのような『ホモ・サケル』的立ち位置ではなく、むしろ、日常的に供される『ガス抜き』装置として扱われるはずだった。私は中身のない存在になる。(単なる石に対する姿勢が、道徳的な姿勢にはなり得ないように)そのような存在に対するいかなる態度も価値判断の対象にはならない。したがって、私は蹂躙されうる。されうることはなされる。そうだろ。

見たところ、一部の読者はあの日記において不変性が損なわれたことに気がついているようだった。しかし、私の観測範囲では、私はまだ中身の詰まった私であり続けている。彼らの恩情によって、私がうまく見逃されたというのが正しい見方だろう。


また書くことについて書いてしまった。結局のところ、私はまだ愚鈍な青年でしかなく、読み、書き、そして消し、次の行、新しく現れる次の行を追いかけていくしかない。一トンものインクの染みを読み、その中からできるだけましなものを選び、そしてまた馬鹿げたディスプレイのしみをつくっていく。後輩から1万円で買ったHHKBを叩きまくる。次の行、次の行だけが全てなのだ。ブコウスキーだって同じ事を言っていたじゃないか。


私が15歳で死んだ時の話

 これは私が中学校三年生で死んだ時の話だ。私は林間学校で死んだ。もちろん、DLsite的な、林間学校は輪姦学校だった!!!!!アクメで死ね!!!!!という話ではない。今後、性的な暗喩は一切出てこない。


 私の死因は「俺について来い」と言ったことだ。私の人望のなせる業なのか、不安に囲まれた者は、責任を譲渡できる相手を信用するという、心理学上の事実のなせる業かは分からない。とにかく、私の班は林間学校の最中に遭難した。道を間違えたことに気がついた時には、すでにどこで間違えたか分からなくなっていた。無意味かつ中途半端に下山したのも悪かった。遭難の教科書的な例と言ってもよかった。山梨県でのことだ。

 悪いことに、キヨカワ以外の班員は、途中から私を見捨てて別行動を取った。私とキヨカワは二人で遭難していた。よいことに、おそらく彼らの判断は正しかった。きっともうログハウスで寝ているだろう。


「分け入っても分け入っても青い山」と、私は冗談めかして言う。あわてて「そうなっちゃ困るんだけどな」と補う。「山の夜はつるべ落とし、って言うし、早くね」と、キヨカワはぼやいた。お互いに、目線を合わせることはなかった。

我々はひたすらに上を目指していた。下山するのは間違いだと悟っていた。そして、いつでもやり直せると、私たちはあどけなく信じ切っていた。私たちは若かった(そして若いまま私は死ぬのだが)。

地図には本来のルートしか描かれていなかった。そこから外れた時、リュックに入ったルーペやしおりが、なんの役に立つだろう? そもそも、私たちはこのような場所があることを想像していなかった。地図に描かれない空漠地というものがあることも、そこにも本来のルートと同じような風景が広がっていることも、そして私たちは何とかしてここを切り抜けないといけないということも。

私たちはたったの15歳だった。空気は湿って冷たくなっているというのに、私の額には汗がにじんだ。汗が乾く。私から熱を奪っていく。前髪が束になり、汗がしたたった。薄明かりの中で、それは鈍く光った。まだ光があるという救いでもあった。


夜が深まるにつれて、私たちはどんどん無口になっていった。やがて、私は、自分の呼吸以外の音を感じなくなった。人は、同じ匂いや音にさらされると、それに対して不感症になるという事を思い出した。私は疲弊してきていた。喉が渇いた。粘ついた唾液を吐き捨てた。それを何かの動物が見つけるのだろうか?

熊笹がざわめいた。山の斜面が何かを嚥下した。それは鹿だったかもしれない。瞬く間にそれは見えなくなり、熊笹の喉は次の獲物を待ち受けるように体を揺らした。

私はため息を吐いた。休むじゃん。どうせ、クソ怒られるしさ。キヨカワは頷いた。彼の表情はわからなかった。私は近くの岩に腰掛けて、キヨカワが一体どういう顔をしていたのか、思い出そうとした。彼は少なくともクラスメイトではあって、私は少なくともクラスメイトの顔は分かっているつもりだった。

 思い出す前に、キヨカワが「手塚治虫、好き?」と聞いてきた。「図書室のやつ、全部読んだ」と答えた。中学校の図書館には、手塚治虫の全集が(露骨なものを除き)全て置いてあった。何が好き?とキヨカワが尋ねる。作品? そう、作品。『弁慶』かな。

 間。

『ザ・クレーター』って短編集って知ってる? その中の、『風穴』って短編は?――私は頷いた。それは、確か、こんな話だった。


 マネキンを恋人にしているレーサーの主人公が、ライバルのレーサーと遭難する。途中で、ライバルは、マネキンのことを「気持ち悪い」と言って、大きな穴に突き落とす。その後、ライバルは、レーサーを勇気づけながら、街まで抜け出す。そして、主人公を病院に連れて行ってやる。次の朝、主人公の手当をし終えて、夜勤から帰ろうとしたナースが、病院の前に置いてあるボロボロのマネキンを見つける。彼女は叫び声を上げる。


 何かの動物が、どこか遥か上の方で鳴いた。風景の細部は夜に潰れていた。紺色の世界に。冷たく湿った、墓の中の灰のような色に。

 水筒は空になっていた。キヨカワが水筒を差し出す。まだ重かった。私は飲んでいいか聞き、彼は頷いた。私は麦茶を飲んだ。立ち上がって、水筒を返した。そしてまた、ゆっくりと歩き出した。キヨカワが「麦茶飲んだよな?」と聞いた。私は飲んだと答えた。リュックからライトを取り出してスイッチを入れた。懐中電灯の光が木立と蔦と獣道を照らした。全ての場所が人の形の影を生み出した。


 キヨカワが「なあ、さっきの話、覚えてる?」と声をかける。『風穴』? と私は答える。うん、とキヨカワが答える。そして続ける。

「あのとき死んだのってどっちだったんだ?」

 間。

「なんだって?」

 キヨカワは答えなかった。私は後ろを振り返らずに歩いた。頂上にはたしかに近づいていた。それほど高い山ではなかった。私はそれだけを信じていた。キヨカワも頂上に着くまで口をきかなかった。


 私は不思議な安心とともに、見晴らし台からの眺望を味わった。遥か眼下に、ぽつぽつと光があった。規模からいって、彼らの泊まっている場所に違いなかった。すでに、細い獣道ではなくて、しっかりと、砂利の敷かれた道に出ていた。

「俺について来いって言っただろ? 後は帰るだけだって」と私は言った。キヨカワは、たしかに、と頷いた。二人で麦茶を分け合った。

 私たちは歩き出した。光は我々の持つライトしかなかった。月は出ていなかった。後ろから声がする。

「もう一度聞くけどさ、あのとき死んだのってどっちだよ」

 私は歩くのをやめた。頭のなかでキヨカワの顔を思い描こうとはした。しかし、一体、キヨカワがどういう服を着ているのかさえ、私には断言できなかった。私は振り向いて、キヨカワにライトを当てた。彼の顔が照らし出される直前に、キヨカワもライトを私に向けた。LEDライトの向こうに、彼の顔が潰れた。

「洋、さっき死んだのって誰なんだ?」とキヨカワが言う。「 ふざけるなよ ( ふざけちょ ) 、誰も死んでないだろ」と私は言う。いや、とキヨカワが淡々と反駁する。キヨカワというクラスメイトがいたかどうかでさえ、私は分からなくなっていた。

「どっちかはさっき死んだんだ」

 間。

 私はキヨカワに近づいた。ライトの向こうの顔を見ようとした。彼のライトを持つ方の手を掴んだ。同じことをキヨカワがした。キヨカワの手は、忘れ去られた庭園から掘り起こされた白骨のように冷たかった。キヨカワの手を降ろした。同じことをキヨカワがした。二つの光が、同時に地面を向いた。

 誰かが平坦な声で「洋、落語って聞くか?」と聞いた。その声は暗闇からやってきた。私は応えなかった。

「短い話だから聞けよ。体中、どこを触っても痛い、って言う人がいたんだ。医者は、内蔵とか、脳とかには異常がないっていうんだ」

間。

「実は、指の骨が折れてたって話だよ」

だからなんなんだよ、と私は言う。「さっき死んだのはどっちだっけ?」とキヨカワが言う。キヨカワの顔は見えなかった。彼が差し出した水筒の筒が私の胸に当たった。

「飲めよ。喉が乾くだろ」

 唇を湿らせる程度の麦茶を飲んだ。そして、私たちは下山しだした。目標は見えていた。ただ歩けばよかった。私は「キヨカワ、 お前、顔色、悪いぞ ( ユー・ルック・ペイル ) 」と呟いた。そいつは「ああ」と言った。


 一時間くらいで宿舎に戻った。当然、ものすごく怒られた。反省文を書け、くらいでは済まなかった。しかし、どこかほっとしたような空気があった。冷たい食事を済ませた。先生は「お前、すぐに風呂に入って、別のところで寝ろ」と言った。私は頷く。

 私の服は泥でひどく汚れていた。私は脱衣所をできるだけ汚さないように浴場に入った。適当に体を洗った。誰もいない大浴場の湯船に浸かった。体がしびれたように温まっていくはずだった。

 突然、ささやかな音とともに、電気が全部落ちた。私は一切の視界を奪われる。舌の根に、麦茶の風味が残っていた。私は麦茶を飲んだのだ、と私は思った。私は呼びかける。

「すいません、誰ですか……電気……」

「洋」

 それは誰かの声だった。

「さっき死んだのはどっちだよ」とそれは言った。私は口を動かそうとした。私の鼓動は止まりつつあった。私にはどこにも逃げ場がなかった。私の服は泥だらけだった。その影が私に近づた。それは笑ったみたいに思われた。私は崖の底でそいつの瞳を見た。その瞳が言った。

顔色が悪いぞ ( ユー・ルック・ペイル )

そして私の鼓動が止まった。