アルコールについていくつか

日記

とても久しぶりに日記を書く。 だんだん私も理解してきたことで、多くの人が幼少期に学ぶべきものとして、生活には述べるところがあまりにも少ないということがある。 私はこの事実を『ユリシーズ』を通して理解した。生活は単調で、すべてがルーチンと化していく。 朝日が昇る、服を着る、顔を洗う、化粧をする……すべてが徐々に巨大な柱に巻き取られていき、それの外周を歩くのには24時間かかる。

私は一体どんなメタファーを使おうとしているんだ? そんなものはどうでもいいことだ。

何にせよ、私は書くし、それは書くべきでないことや、書くことによる効果("書く意味"とあなたは言うかもしれない)がないものや、 あなたや私にとってどうでもいいことを含む。例えば昨日の停電のことなど……。

ひどい雨だった。道は川になり、広場は海になった。大学から駅に向かうシャトルバスの中で、我々は雷に怯えていた。 何にせよ、一度停電が起き、我々ができることと行ったら、UPSがうまく作動していることを祈るか、プログラムが正常に終了していることを願うか、 会議や論文の締切が、責任者を襲う突然の心臓発作で延期することを期待するくらいしなかった。特に、一番最後の事象に関しては、 我々も不慮かつ不測かつ不可避の停電に見舞われたのだから、当然……という合意が得られていた。

電車は止まっていた。他の人がどうしたかはともかく、我々(私と、アイルランドから来た研究員)はモスバーガーで休憩した。 彼は倫理的な観点からベジタリアンになった人間で、きんぴらのライスバーガーを食べた。非常に痩せていたが、 とても良く食べる男で、実際、途中でサブウェイに行き、追加のアボカドベジをもらってきたほどだった。

彼が話したことの中に、面白い話が一つある。

アイルランドでは醸造が盛んに行われていて、醸造所も大量に建築されるが、当然の帰結として、うまく商売が成り立たず、潰れてしまう場所も出てきてしまう。 彼は子供の時、とても『遊び心のある』少年で、スケートボードを片手に、廃ホテルの奥に眠っていたワインをがぶ飲みしたり、 打ち捨てられた郵便局に入り、巨大なレバーをがちっと倒して、ポストオフィスのすべての機械に命を吹き込んだり、 または資材集積所で遊んでいて、誰かの点けた火に巻かれて死にかけていて、当然、このように潰れた醸造所にも侵入していた。

残念ながら、ビールはすでに発酵が進みすぎていて、飲めたものではなかったらしいが、そこには大量の書物が眠っていた。それらの多くは 醸造のための本であり、すでに忘れ去れられた知識や、配合、そして口伝によって伝えられていたと思われていた事実が書き留めてあった。

彼はその本を持ち帰り、友人でビールにとても興味を持っていた男に渡した。

その友人は、今では、そこに書かれていた配合にアレンジを加えて、ブランドを一つ立ち上げるまでに至ったということだよ。