花冠についていくつか

日記

雪を見るたびに、思い出すことがある。冬にたくさんの思い出を作ったわけではない。むしろ、あまりにも冬についての記憶が少なすぎるために、同じ記憶を何度も思い出し、結果として、雪とその思い出が密接につながってしまったんだと思う。

一方で、すべての記憶は改ざん済みなのだから、これから私が話すことは、やはり、エピソードいうよりは嘘だといわなければならない。


これは私が6歳のときの嘘だ。その年――2001年――は、雪が積もっているにもかかわわらず、私の住んでいた宿舎の裏庭では、シロツメクサが咲いていた。それ以外は普通の年になるはずだった。私と竹下さんはそう思っていた。

竹下さんは3号棟に住んでいる、母とより一回り年上の女性だった。二人の息子がいた。夫は大学の職員をしていた。幼稚園にも保育園にも入っていなかった私は、よく、竹下さんの部屋に行って暇をつぶしていた。そうなった経緯は思い出せない。彼女の顔も。顔があったことは確かだ。少なくとも。

その日――裏庭のシロツメクサの花々の上に雪が積もっていた日――竹下さんと私は、そこで花を摘んで、冠を作っていた。虫を払い落として、茎を交差させて、くるっと軸を返して、きゅっと結び目を締める。今でも私は作り方を覚えている。シロツメクサの、緑色の軸が雪の上に散らばっていた。空は白く曇っていて、四方に見える山には、どれも濃く霧がかかっていた。甲府市だけがこの世から切り離されている気がした。

竹下さんは、私に花の冠をかぶせた。私は自分で作ったブレスレットをはめた。私は自分がどこの国から来たのかわからなくなっていた。どのように生まれたかでさえも(もちろん、そのときは、どのように生まれるかなんて分かっていなかった)。

「はい、これ被って、写真撮るから、はい、動かないで……オッケー。現像してお母さんに渡しておくから」

と竹下さんが言う。私は頷く。草の青い匂いがした。ミッキーマークのついたトイカメラだったはずだ。フィルムを巻くときの音が私は好きだった。シャッターを切るときのパチッという音も。

写真を撮り終わったときに、竹下さんは私に、すぐに部屋に戻ろうと言った。彼女の視線の先を見ると、大きな白い犬がいた。犬種は思い出せない。毛の長い犬だった。私と同じくらいの背丈があった。私達は少し慌てながら、ゆっくりと後ずさって、犬が視界に入らなくなったところで、一目散に逃げ出して、三号棟の四階まで駆け上がって、はあはあと息をついて、お互いに顔を見合わせて、笑った。なぜかはわからない。このあとのことを、私は想像できなかったのだろうか? もしできたら、私は笑いはしなかった。

私と竹下さんは、ベランダに出て、裏庭を見下ろした。そこには、さっきの白い犬が、自分の尻尾と遊ぶように、うろうろと歩いていた。竹下さんは、「意外と小さく見える」と言ったが、私はそうは思わなかった。私は「どうにかして」と訴えた。

私の足元から、怖さがすーっとあがってきた。私は説明した。あの犬は私達を付け狙っていると言った。あの白くて巨大な犬は私達の匂いを知っている。犬は私達が逃げられないことを知っている。犬は焦ることなく、裏庭から宿舎の入口に来る。階段を一歩ずつ、右足からあがっていく。ピンク色の舌が、一段上がるごとに揺れる。四階までつく頃には、吐く息が白くなる。ドアの前で、犬は数秒だけ待つ。そして前足を器用に使ってドアを開ける。私達は逃げられない。白い犬が近づく。私達は動けない。白くて大きな犬の口が開いて、黒い歯茎が見えて、黄色い歯垢が付いた白い牙と緑色の花冠に、私達の赤い血が飛び散る……。私はそのようなことを泣きながら叫んだ。私は恐慌をきたしていた。

竹下さんは、自治会の人に電話をかけた。数分で、自治会長の日向さんと、何人かの老人がやってきた。日向さんは猟銃を持っていた。「任せときなさい」と言って、ベランダから身を乗り出した。大きな眼鏡を外して、私に持ってくれと言った。

日向さんが、狙いをつけて、引き金を引いた。銃声はどんなだったのか、私には思い出せない。白い大きな犬は、弾が当たったとき、驚いたように飛び跳ねた。すぐ、他の大人たちが、長い竹竿を持って、犬の周りをぐるりと取り囲んで、めいめいに叩き始めた。犬が誰かに飛びかかろうとするたび、反対側にいた大人が、犬を強く打った。それはとても長く続いた。彼らの口から白い息が出て、犬の白い毛皮が、自分自身の赤黒い血で染まって、大人たちの熱がまわりの雪をすっかり溶かしてしまうまで。裏庭の茶色い地面が見えてしまうまで。私の体がベランダですっかり凍えてしまうまで。日がだんだんと落ちてくるまで。犬が、周りの地面と混ざり合って、なにかのぐちゃぐちゃになってしまうまで。シロツメクサの花も、踏みにじられて、もう、どこにあるのかもわからなかった。

それから、日向さんは、裏庭に出て、残骸を拾い上げて、土のうを作るときの、白い袋にそれを詰め込んだ。こちらに向かって手を降って、大人たちは帰っていった。竹下さんは私の頭をなでた。「もう大丈夫」と言った。何が大丈夫なのか、私にはわからなかった。この日から、私は、赤と茶色の区別がつかなくなっている。


最後に一つだけ。私の家には、シロツメクサの冠をかぶった私の写真が飾ってある。私はこの日のことを忘れようとしている。

きみならどうする。