民宿についていくつか

日記

 最近、旅行に行ったんですけど、やっぱり民宿の方があたしは好き。ホテルはなんか肩こりするっていうか、窮屈な感じがするし、旅館も微妙。ちょっとお金を払っている感が出すぎてるんだと僕は思う。はい、あなたの払った分のサービスがこれ。床はビニール。浴衣はクローゼットに。バスタオルは三枚目から百五十円です。ごゆっくりどうぞ。じゃ。

 それは本当にその通りで、僕たちはそれより多くを求めてもいけないし、払った分を確かに請求することによって、サービスの質が保たれる。あとは、経済と貨幣について深く知った功利主義者さんが教えてくれる。任せた。
 ただ、それに関して、僕が嫌に思うのも事実なんだよな。無限の猿を使役し、全ての言葉を書き著したゲーテ曰く、旅行とは非日常である。そして、お金は――触れて、噛めるような、プラスチックの信用を含めて――あまりにも日頃からの顔なじみすぎる。全ての設備を見たり、使ったり、食事を食べるたびに、僕は自問することになる。これって適正価格かなあ? ちょっと高すぎない? コスパが……。
 もちろん、僕がさほど高級でない宿泊施設を使っているのが悪いという面もあるだろう。自動ドア――これは、ドアの横にいる中居さんが手動で動かすことで実質的に自動になっている――が開くと、鳩が百羽ぴったり飛び立つようなホテルだったら、お金のことなんか気にしている暇もなかろう。というのも、不断の外部刺激により、人間存在は一種の弛緩状態になるからだ。あーすげー。熟語ってやつ? あるいは、僕がもっとお金持ちならいいのかもしれない。何だって? 二万円? いいかね、これから、そのくらいの価格なら聞かないでくれ給え……。
 でも、僕には大したお金がないし、ヒルトンと顔なじみでもない。じゃあどこにいけば旅行ができるだろう(覚悟しろ。民宿の話をします)。
 民宿! 民宿。超いい。親戚とか、おじいちゃんの家とかに泊まってるって感じで、前払いがいい。一泊三千円くらい。払ったらおしまい。犬がロビーに寝そべっていて、いつも眠そうで、吠えるとしても、朝に少しだけ。本当はべつにどうだっていい。そもそも僕は民宿に何も期待していないのだ。実は、清潔さにおいては少し期待しているが、それが裏切られた時の用意もちゃんとしてる。大浴場もいらない。小さいのでいいし、温泉もいらない。温泉なんて街に出ればあるじゃん。桶もケロリンで頼むね。朝も晩ご飯もなし。帰るときにシーツは剥がしていってくださいね。了解。こういうのでいいんだよ。小市民と呼んでいただいて、結構……。