マウスについていくつか

日記

我々は専門用語を用いるときに、多くの場合、ただ一回のみ定義が上書きされることを措定している。 例えば、我々は『リアリズム』と言った言葉を、国際関係を述べるときにおいては、ある種の悲観的な立場のことだと捉え、 特別な注釈や、議論がよほど行き詰まったときでなければ、これらの定義を振り返ることはしないし、 別の場所(例えば美術における)『リアリズム』と混同することもない。 この一回きりの定義という条件が成り立ち、日常用語を上書きすることによって専門用語を構築している限りにおいては、 用語の定義の順序にはさほど気を使う必要がない。 というのも、私たちは必ず一意に定義の鎖をたどっていき、それは日常用語か、上書きされた一つだけの用語に落ち込むのだから。

 ところで、実験用のマウス、と言ったときに、バイオインフォマティシャンたちは何を思い出すのだろうか? この愛しい赤い目の白いふわふわのことだろうか? それとも、この赤い光線を出すなんとも健気な機械に対してだろうか?

 これもまた別の種類のたわごとで、私がこの話を日記として書こうと思ったのは、単に、日記という名前に、私があまりにも注意を払ってこなかったことに気がつくためだった。 (読者への注:このような動機で書くことは可能なのだろうか? つまり、すでに気がつこうと決心したことに、再び気がつくことは。私にはよくわからない。私は自分に言及しすぎることはわかっているのだが。)

これもなんでもいい話だった。

 さて、これは再び悪い夢のような話だが、例えば『友人の誕生会に、妹と一緒に行く途中、プレゼントを忘れたことに気がつき、途中でドブネズミを捕まえ、(毛皮を剥いだばかりのそれを)彼の目の前で素揚げにして食べさせた』といった話や、『自分の誕生日パーティーに友人が妹と来たのだが、彼らは私の目の前でドブネズミの皮を引いて素揚げにして皿に盛り付け、パセリを添え、さあ、最後まで綺麗に平らげてくれと言った。そして私は揚げられたネズミの脳の味を知ったのだった』というような話ではない。これらは目に見えてさわれて、そしてなんらか贖う方法があった(にも関わらず、一切、自尊心の観点からは補填がなされなかった)加害や被害の話であって、今日の話は、単なる過去の不正義の話だ。 (気がついただろうか? 公開から数日、次の文章は誤ってアップロードされないままだった。これは私のせいだ。もしあなたが、19日から22日までの間にこのページに行ったことがあるなら、私を厳しくしつけてくれ。)

 振り返ってみると、小学生の夏休みの強制労働は枚挙に暇がなく、自由研究(欺瞞的な名前だ)、開放プールの監視(開放されているものをなぜ監視するのか?)、そして小学校に併設されている農園に水をやることがあった。小学三年生の彼もまた、これらの義務から自由ではなかった。皆さん、しっかりと水をやりに来ましょう。暑くなると草がゆだっちゃうので、朝に来ましょう。来たら、職員室に報告してくれ。みんなが植えたとうもろこしなんだから。

 もちろん、彼――佐竹という名前にしよう――は、全く、とうもろこしを植えようとは思っていなかった。もちろん、植物の水やりは、究極的には、近代の文明のひずみが生み出した奴隷文化を再演することで、その悪徳を、九歳の子供の体に刻み込むことにあるのだから、彼が「くそ、やりたくねえなあ。雨でも降らねえかなあ」と思ったのは、今考えてみると、予想されていたし、望まれていたことでさえあった。

 彼の登板は八月一四日の金曜日だった。五時から六時にかけて、一瞬だけ、甲府の空気は湿った冷たさを持っていたが、佐竹が朝食(と彼の母親が言うところの、昨日のそうめんの残り)を食べ終わったときには、すでに三十度を回っていた。アスファルトは白っぽく焦げて、佐竹に、万力公園の象の肌を思い起こさせた。あんた、今日、水やりじゃないの? わかってるよ。行くって。佐竹は短パンとTシャツを着て自転車に乗る。学校に付く頃には、首の後ろに熱を感じるようになっている。

 思い起こしてみると、ここで急いだのがいけなかった。彼は自転車を適当に止めて、学校の裏手、プールに続く細い道を走った。セミが配管の下で事切れていた。どこかから吹いた風が、誰もいない給食室の中で冷やされて吐き出されて、何か中途半端な温みを持って、佐竹のところにまでたどり着いて消えてなくなった。農場横においてある机の中から、日誌を取り出して、佐竹はすぐに「今日は水をやった 虫が多い サイアク 暑い」と書いて、すべての欄を丸で埋める。(『ちゃんと来ましたか』、『水をやった』『日誌に記入した』『責任感をもって仕事をした』――どうやったら、この欄を丸で埋めずにいられる?)

 二年生の作っているさつまいもの横を通り過ぎて、四年生の作っているヘチマの前にあるとうもろこし畑の前に行く。蛇口をひねると、事切れかけていた幼虫みたいに、ホースがびくりと動く。ホースの先は畑の真ん中にあった。ノズルをシャワーに切り替えて、ハンドルを引くと、佐竹の背の高さ程もあるとうもろこしの葉っぱが夕立のような音をたてる。草の匂い。佐竹は進んでいく。耳元をなにかの虫が通り過ぎた。水が自分の肩に掛かって、そのまま脇の下に流れていった。雄花が太陽から佐竹を隠した。彼は自分の顔が、単純な形の葉っぱから作られる複雑な影の形で縁取られることも思い浮かべた。畑の奥まで行く。左にそれる。

 そして、ホースが、ゆっくりと左に動いていき、とうもろこしの一本に引っかかる。佐竹はそれに気がついていなかった。なんでホースが動かないんだ? バカなのか? 彼は強くホースを引く。そして、その一回だけで、引っかかっていたとうもろこしが根本から折れて倒れる。彼はその幹が地面に落ちてから、ゆっくりと歩いていった。それを取り上げて、折れた断面をよく眺めた。それから、まるで、そこに接着剤でも付いているみたいに、断面をぴったりとくっつけた。手を離す。幹が倒れる。彼はまたとうもろこしを持ち上げた。そして再びつなげようとする。そして常に失敗する。損なわれたとうもろこしの横に、彼の親友の名前が書いてあるのに気がついた。

 もちろん、彼はその不正義を、未だに贖っていない。