書かない日が続く

日記

 暖かい日が続く。嫌な気分だ。春と夏は暑いから嫌いだ。痩せればどうにか過ごせるようになるのではないかと思い、痩せては見たものの、相変わらず夏は嫌いなままだ。
 そもそも、人間は零下でもなんとか生きていけるというのに、たかが五十度で死んでしまうではないか。これはすなわち、人間は一般に暑いところに向いていないということではないだろうか? 夏が好きな人物は、むしろ温暖化に適応しかけている新人類として称揚すべきだが、それが一般に成立するものではなく、むしろ冬が好きな人々の方が原初の形であったのだということは、いくら強調してもしすぎることはないほどだ。

 以上が冗談であった。豈豈、如何すべし。

 昔は、書かない日が続くなんて考えもしなかった。頭の中には常に何かがあって、単にそれをぶちまければ済みだった。そこには準備も後片付けもなかった。フローに身を任せていればよい。雷に打たれたみたいなものだ。イヤフォンをさして、ラップトップを抱え込んで、ずっとぱこぱこ打っていられた。現状はそうではない。無。何もない私の頭の中。実際のところは、まだ私の頭にはたくさんの狂ったものが詰まっている。指がボールペンになっている男、とひらめいたりする。しかし、それはすぐに色褪せてしまう。私は彼がどのようなトロッコで運ばれるべきかわかりすぎる。私は多くのものを読みすぎたのだろう。武器人間。シザーハンズ。ミダス。オオゲツヒメ。ボールペンがなんだって? ええい、なんでもないさ……。私は生まれかけの彼を叩きのめし、やめてしまう。単に。せっかく考えたのにも、ちょっと次はどうしようかもない。単なる放擲。何も残らない死。

 時折、ふっとそこらへんの路上で寝転びたくなる。夏になると特にそうだ。全てを、五分だけでいいからうっちゃってしまいたくなる。それは別に、何もストレスがない時にやってくる。まるで突然だ。私は何もないふりをして歩き続ける。なぜなら、きっと他の人も、みんな同じことを考えているに違いないからだ。それでもなんとかやりくりできている彼ら。私は純粋に彼らを賞賛する。そして私もそのようになっているだろうと考えながら歩く。私は他人を呪ったりはしない。少なくとも私が認識できうる範囲でだ。

 もう午後の二時だ。論文を読む時間だ。ゆっくり。気をつけるんだよ。