家についていくつか

日記

 ところで、一週間に一回しか書かないならば、もうこれは日記じゃないだろ謝罪会見だ謝罪会見、報道各社にFAXを流せ、ついでに、旧態依然とした報道のあり方をちょっとくすぐってやれば、あなたも少しは有名になる。私はなんの話をしているんだ? 私は雨にすべての責任を帰す。実情は異なり、私は意識的に、雨の日は抑うつ傾向になるようにしている。あなたは不気味さを感じることができるし、あなたが不気味と思うことを考えて私は書いたのだから、特段、あなたが引けめを感じる必要はない。

 何冊か本を読んだ。最近、気がついたことだが、僕はおそらく、本を読みすぎている。この世において、一体どれほどの人々が、外国文学を読み続けるというのか? 僕はかつて、この数字を、かなり大きく評価していた(一億人くらいだ)。というのも、僕たちの多くが、ゲイのカエルとゲイのカエルの本を読んだことがあるからだ。もちろん、僕たちは無意識的に、『読んだことがある』と『読み続けている』の境界を撤廃していたのだが、それは許されざることなのは、もうなんだかひたすらはっきりしている。ついでに言っておくが、まったく読まないのは病気だが、あまり読みすぎるのも、同様に病気である。
 さて、もちろん、あなた達は、先程のパラグラフから、差別的な発言を望むだけ切り出せるだろう。
 しかし、私がこれを、ある種の作品として構成していることにも、また気がついているはずだ。日記が真実を語るとは、私は一切思わない。一度は、あなたも日記をつけたことがあるはずだ。そしてあなたはやめたのだが、その理由は、あなたが、単に、あなたによって改ざんされた記憶を、あなたが体験したことだと書いてらんなくなっただけじゃんね。より一般に、すべての書かれたことには、今のところ、虚飾が混ざっている。私はそれに、あなた達のうちの何人かより、自覚的なだけだ。
 何より、私が書き続けるのは、単に私がどうにかやっていくためにすぎない。よって、あなたたちは僕を無視することができる。私はなんとか切り抜けてきている。私はいるのかもわからない男のことを考える。男の子らしくと言われ、それだけを信じて成長している男の子。鞭が彼の尻を叩くところ。彼が成長した後、私はこう言ってやるべきなのだろうか? 君の価値観はあまりに時代おくれすぎて、君はいっさい口を開くことができない。かくして、私は構造にすべての責任を帰し、しかし、彼を廃人同然にする。あなたと私は、特に疑問に思うことはない。

 ところで、本日の嘘だが、私はものすごく猟奇的な話を作る予定なので、心臓の弱い方は閲覧をやめていただけるとありがたい。
 さて、6月の蒸し暑い日――私は3年前だと記憶しているのだが――雨が十三日間と半日に渡って振り続けた事があった。その時、 私の知りあいの家が、かびだらけになったことがあった。

 その家は、私が東京に越してから、二週間ほど、短期的に間借りした部屋だった。その時、あなた達も覚えている、震災があり、物件を探しに来ていた私は、管理人の善意によって、いろいろなことが、ある程度のレベルに復旧するまで、そこに滞在させてもらったのだった。
 もちろん、私は東京に五年しか住んでいないので、このことは、もちろん、時系列的には、真っ赤なウソなのだが、はじめから私は嘘をつくと宣言しているので、非難には当たらないと、私は信じる。

 そのようないきさつで、私はその家と出会った。入居者はいっこうに見つからず、管理会社も、もてあましているようだった。私が「月イチで清掃させていただきたい」と言ったときは、流石に、困惑の表情を浮かべていたが、経緯を説明すると、一度確認してからにしていただきたいと言った。後から聞いた話だが、そこは、一種の不可触賤家的扱いを受けていたらしいのだが、どのような家もそのように扱われるべきでないことは、はっきりしている。

 はじめに入ったときは、その部屋はひどい有様だった。私がそのようにしたのではなく、それから後の人々が、内見をしては、好き勝手に出ていくせいだった。あるときなど、管理会社の若者をギャングが脅迫し、ガムテープで目と口を塞ぎ、両手両足を一箇所にまとめて縛り、電灯のスイッチの先端にくくりつけて、宴を開いたことまであったのだ(この家は足立区にあったので、このようなことは、頻発していた)。床には、それらギャングの足跡がこびりつき、酒瓶が転がり、炊飯器には米と誰かの指が炊かれたまま腐敗していた。床下収納を開けた途端、白いはずの内壁が黒く、それはまた白くなったのだが、それは小さな虫のせいだった。二階の本棚には雑多な紙が詰まっていたが、どれにも、子供が書きなぐったような女の絵が書いてあり、それは血と涙を指で伸ばしながら描いたものだった。カーテンのレールには、でっぷりと太ったてるてる坊主が並んでいたのだが、それはネズミの死体を芯にして作ったものだった。レールが少し削れていたので、私は、それが作られたときには、彼らはまだ生きていたのだとわかった。収納には、ひどい臭いのする布団が積まれていて、私がそれを取り除くと、からからに乾いた嬰児が次々と現れ、二十三体にもなった。どれも目と舌だけがきれいに削り取られていた。管理会社の若者は、合計四回吐き、その後、六回ほど胃液を流したが、それは彼の食道に悪い影響を与えるだけだったので、やめろと私は言った。支部長が現れ、卒倒しかけながら、「確かに、あなたに管理してもらったほうがいい」と言ってから、卒倒した。

 かくして、私はこの家と知り合いになったのだった。
 私は、まず、家をきれいな状態に戻すことにした。隣に住む中年男性が、私にいくつか質問をしたが、どれも好意的とはいい難いものだった。
 まず、炊飯器の指を米から取り除くと、残りを生ゴミに捨て、機械自体はきれいに洗浄して外に出した。途中、ドライアイスを運んできてもらい、私は床下収納に、大量のドライアイスを放り込んでおいた。絵や紙類は、土曜の資源ごみにまとめて出したら片付いてしまった。乾いた嬰児は、非常に脆かったので、丁寧に砕くことにした。管理会社いわく、警察には届けないでほしいとのことだった。これが最初の一週間に、私がやったことだった。
 それから、私は、授業をさぼったり、就職をしてからは、有給をとったりして、ゆっくりと、物事を処理していった。もちろん、私はまだ大学院にいるので、就職してからは、という部分は完全に嘘だ。これは、この話自体が、全体として嘘なので、許容される。

 時折、誰もいない、二階の窓ガラスがぴしぴしと私に挨拶をしたり、ガスの通じていないはずのガスコンロが、突然着火し、私が置き忘れていたキッチンペーパーの存在について、私に注意してくれた。押し入れからは、家が、少ない語彙数で交流を試みようと、赤子のようなきしんだ音を立て、私はそれに返事をした。全体として、私は家とうまくやっていっていた。フローリングを磨き上げ、ワックスを掛けるたびに、電灯の真下に、血だまりや、そこに落ちた血が飛び散ったようなあとが残るのだが、数年かけて、ゆっくりしみ抜きを行うことによって、どうにかなった。床下収納は、絶えずドライアイスを放り込み続けた結果、蓋が閉められないほど虫の死骸がたまり、これには私も閉口してしまった。ある日、ドアを開けると、隣の中年男性が、他の女性とともにいた事があった。暑い八月の日だったので、女性と男性が生まれたままの姿であったことは理解できたし、ちょうどお昼時だったので、料理のために包丁を持ち出していることにも合点がいった。ただ、女性が泣いていたり、血を流していることに関しては、私には理解しかねた。よって、私はその点を、まず当事者である女性に聞いたのだが、隣の男性は、いたく不快だったようだ。しかし、私が彼に経緯を説明すると、彼もわかってくれた。それから一生、彼がここに来ることはなくなった。それからも、何度か、清掃の途中で、人に会うこともあったが、経緯を説明すると頷いてくれた。

 そして、最初に言ったような、ものすごく長い雨がやってきた。それは十三日間と半日続いた。そのせいで、私の住んでいた部屋の周りの土はどろどろに溶け、ブロック塀でさえ、砂のようにぐずぐずに崩れていってしまった。電柱が傾き、カラスさえ、体重が五倍にも増えてしまった。確かめた私が言うのだから、間違いはない。
 私は注意深く、窓の外の地面を整地した。そのたびに、土壌ははるか遠くまで流出したが、そのたびに私は、ホームセンターで腐葉土を継ぎ足した。初夏の蒸し暑さのせいで、継ぎ足すたびに、腐葉土はそこで息を吹き返し、夜でも、共用地に立つと、ほかほかと熱気が漂ってくるほどだった。
 隣に住んでいた、三十代の会社員の女性は、うんざりした顔をして、「これマジでひどいですね」と声をかけてきた。私は軽く頷いた。私達は、洗濯物について、しばらく協議した後、二人ぶんを、まとめてコインランドリーで洗濯した。雨が降り続いたせいで、時計は時間を正確に刻んではいるものの、とこしえの夜を細かく刻んで昼をもってこられるわけではなかった。
 彼女はびっくりするほど髪の毛が長く、彼女が髪の毛を後ろになでつけると、あたりの空気全部が、厳かに移動するのだが、窒息しそうなほど、シャンプーと、皮脂と髪の毛の匂いがした。狭いコインランドリーに入ると、その匂いのせいで、すべての洗濯機が、一斉に、発狂したように回り始めたほどだった。
 私達が身の上や、身の下について話し合っている間に、洗濯は終わり、そして乾燥も終わり、ガラス戸を開けて出てみると、くっきりとした六月二十三日、午後三時の青空が広がっていた。アスファルトは黒と別のより薄い黒に分かれ始め、彼女は自分の下着を取り出して(レースの下着だった)太陽に透かした。私は彼女の髪の毛が、水分を失い、ぱりぱりと乾き、鱗を開き、匂いを拡散させていくのを見ていた。彼女はこれから家で酒でも飲まないかと言ったが、私は『家で』というところに、『女で酒を飲む』と言った種類の、尊厳の否定を感じ取り、丁重に断った。

 ちょうどそのときに、私は知り合いの家のことを思い出した。そして、私は彼女と別れを告げて、私は記述を簡略化し、私はその家をかびが覆っていることを発見した。そのかびは猛烈なもので、家のドアは数センチばかり、大きくなっているように見えた。それは白や黄色や、真っ赤から黒い赤までの、ありとあらゆる連続的な血のスペクトラムを再現していた。私はケルヒャーの洗浄機を買ってきて、次々とカビをこそげ落としていった。
 窓ガラスに張り付いた蔓やカビやコケを払いのけると、室内が見えたが、それは大災厄だった。

 その時、まさにちょうど私が内側の清掃を始めたそのときに、部屋のドアが鳴った。外では、管理会社の若い男の声がした。男や女や、あなたが想定する他のすべての性別や、性別でないものの声もした気がする。彼らはドアを開け、私がカビと格闘しているのを見つけた。そして、管理会社の若者は、なぜ外側がきれいなのに、内側がカビだらけなのか怪しみ、それの原因を私に帰した。具体的には、彼は、私のことを、《不法占拠者》であり《菌の媒介者》であり、この部屋が《カビによる悪虐の嵐》に見舞われているのは、ひとえに、私が《錯乱した隠遁者》であるからだと主張した。私はこれに、厳かに反論したのだが、彼は暴力をもって反駁にかえた。私は彼に頼み込むことによって、カーテンだけは、新品に交換することを許可してもらった。というのも、玄関が家の顔であるように、カーテンは家の手であり、手があれば、コミュニケーションには十分だったからである。

 そして私は手を振り、私の知り合いの家は締め切られた窓ガラスの向こうのカーテンを振って、別れた。それから、私がそこを訪ねたことはないし、これから訪ねることもない。というのも、その家は、すでに誰かが住んでいて――というのは、その人物が、私の知り合いの臓腑をすべてくり抜き、あのきらきらひかる窓ガラスをブチ破り、やわらかな綾織りのカーテンをクソみてえな遮光カーテンに変え、犬畜生、猫畜生、その他ありとあらゆる、少なくとも、頑健性や巨大さの面で完全に家より劣る劣等種たちを運び込み、うろの中に潜んでいるという意味なのだが――私が菊と手水を持ち、手向けに行ったところ、口にだすのも不愉快ではあるが、虚ろな目をした、小人を従えた肉機械が出てきて、私のことを、まるで不意打ちとでもいうかのように扱ったからだ。
 そのとおり。私は一度だけ訪ねたのだ。そして、今週末、もう一度、次はしっかり準備をして訪ねるつもりだ。しっかりと敬意を説明すれば、頷いてくれるはずだ。
 これでこの話はおしまいだよ。