驚くほど時間が経っていることについて

大学

 プルーストはマドレーヌを紅茶につけた時の匂いから、彼が書く物語の世界を構成したという。それって、ものすごい量のマドレーヌを消費したんじゃないかと、僕は思う。想像してほしい。紅茶漬けのマドレーヌ(大量)。想像しただろうか? ちょっとすごいだろう?

 細部を詰めようとすればするほど、あなたのお父さんは、マドレーヌをびしょ濡れにする。もう少しで、教会のステンドガラスのマリアさまの小指の爪のガラスの色が思い出せるんだ。ポリ袋いっぱいのマドレーヌ(紅茶に濡れている)。それを毎週三回捨てなきゃいけない。近所の人に見つかったら大変だ。深夜にこっそり、息を詰めて。マドレーヌの焼きすぎと、紅茶の淹れすぎがたたって、あなたのお母さんはおかしくなる。あなたもやがてそうなる。あなたはそれに気が付いているべきだった。
 大体の場合、こんな感じの生産性の逓減が、芸術一家の存続というやつを台無しにする。ブリューゲルって奴らはすごいね。
 今からするのは、芸術一家の話ではなく、僕にとってのマドレーヌと紅茶の話だ。

 子供のとき――今でも子供だけど――大学が近くにあった。歩いて五分くらいのところだ。駅からまっすぐ伸びる目抜き通りのせいで、キャンパスは二分されていた。駅に向かって左側が文系、右側が理系。もしくは逆。どうでもいい。そもそも、僕はアホだからそんなこと知らなかった。何だよ理系って。
 僕が知っていたもの:建物の影になったところにたむろしているお兄さんがた、グラウンドの端にある小屋から聞こえるアジアン・カンフー・ジェネレーション(『海岸通り』)、どちらかのキャンパスにあった噴水を泳いでいた亀、そして匂い。僕が小さい頃いた部屋の匂い。僕が『うらからいらっしゃい』/『ひとりでいらっしゃい』を読んで、まっさきに思い出すたぐいの部屋の匂い。

 きっと工学部だが、その部屋は忘れられない匂いがした。納屋から草の匂いをとったみたいな匂い。とても昔からやってきた匂い。あなたが空気をガラスに詰めて、風の吹かない、しかし日は差し込む、人気のない階段の踊り場に何十年も放置してから、そのガラスを砕いた時の匂い。何だっていい。どうせ、このようなものは言葉を超えている。好きにしてくれ。でも、くさや以外で頼むよ。
 絶対にありえないが、僕はそれを、ブラウン管のディスプレイや、クリーム色のパソコン、そして干からびた配線が出す匂いだと思っていた。本当にありえない。信じないでほしい。
 でも、ヒューム、ポパー、反証可能性そして科学哲学と、まだ知り合いでなかった頃のあたくしは、まあだいたいそんなもんだと思っていた。もしくは日に焼けた紙の匂い。ほこり、堆積物。廊下に鎮座まします御旗・楯無・段ボール箱。何だっていい。あの時は全てが全ての理由にも、結果にもなった。少なくともなり得た。そういう時ってあるだろう? 配線のもつれを知らない人にとっては、めちゃくちゃマジにもつれたコンセントやケーブルの化け物が、かわいげのある遊び道具に見える。文字数を使いすぎた。急げ。

 その場所で、僕は、幼少期のある程度の期間を、Depthというゲームをやって過ごした。戦艦が、魚雷を使って潜水艦を撃破するゲームだ。2D の、ファミコンみたいな画面のゲームだ。まだ小学生にもなっていないあたしは、マジになってボタンを叩き、その度に船からは、魚雷がふらふらと僕には全く予測できない揺れ方で落ちた。やがて、潜水艦が放った魚雷が僕のバトルシップの腹に穴をブチ開け、僕の戦争は終わった。そしてまた始まった。
 そこでは、ずっとあの匂いがしていた。あの時の私は、だいたい大学ってのはどこも、こんな匂いがするもんだと思って、その認識は変わらず、一八歳というとんでもない年齢――この年齢は筆舌に尽くしがたいほどとんでもないので、特に筆に尽くすことができない――にまで達した。

 そして、ついに東京の大学に行ったとき、その匂いはどこにもしなかった。僕はあの匂いに取り憑かれ、五号館と一号館をバカみたいに三日ほど歩き、そしてあれは一般に成立している性質ではなく、もっと特殊なものだと知った。それから、三日も歩くなんてバカかよと思った。あの匂いはここにはない。そして、すでにあの建物が建て直されたことを加味すると、あの匂いはもはや存在しない。
 ここで僕は語るのが面倒になり、したがって、ここでこの話は終わりにする。あなたにはどうすることもできない。包丁を持って、私のベッドの下に潜んでいたまえ。コーヒーでも淹れてやろう。僕は得意なんだ。

 やっと今になって、四年も前のことをふっと思い出した。あの時のあの感じ、僕が「ああ、これが大学という場所で、この匂いがここをまさに特別にしているんだ」と思ったあの感じ。きっと僕がナボコフだったら、捕らえられたんだろうか? それとも、皺の寄った人差し指を振るだろうか? それはあまりにも癒着している。そして彼はいう。記憶よ、語れ。こうしてわたしは記憶に囚われ、マドレーヌを焼成し、紅茶を抽出し、効率の観点から、それらをミキサーにかける。手っ取り早く濡らせるからだ。ポリ袋いっぱいのマドレーヌ(紅茶と一緒にミキサーにかけられている)。そして僕の子供たちは、みんな狂ってしまう。
 このようにして、芸術家でない人々も零落していく。これでこの話は終わりだ。

メモ

 こういう文体は、一般に、4ページ以上やるとマジでうるさくなるので、ちょっとしかできないんだよなあー。残念。あんまりテクで書くのってよくないけど。