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これに関してはハマスが悪い

日記

 まずはタイトルについて謝罪する。私はこれから、政治的に神妙な話を、真剣な顔つきでするつもりはない(もしかすると、私は形容詞を交換したほうがよかったのかも知れない。真剣な話を神妙な顔つきでに。しかし、オリジナルのほうが、私には好ましく思われる……私はオリジナルの方を好む……オリジナルのほうが私は好きだ。未成熟な私の言語野)。

 今日は土曜日、先週は来なかった聖人たちが、福音書をiPadにおさめてやってくる日だった。しかし、私は誰とも会いたくはなかった。多くの人が、このような日をもっていることを、私は知っている。彼らは、それを、二重にロックが掛かった下着入れの中の箱に詰めてしまっておく。または恋人と分け合ったりする。または排水口に流してしまう。または、それに気がつかないまま、ずっと血を流している。私は単に露悪的なだけに過ぎない。あなたは、単に、これが許容されうることだと、分かっていないだけだ。

 だから、私は昼間、コーヒーショップで時間を潰して、図書館で調べ物をして帰った。平成という時代についての本を読んだ。何枚かメモを取った。平成とは――とその本は言っていた――自由と、その代償となる代替可能性の時代である。もっとよい物が常にある時代である。ここで、その妥当性を検討することはよそう。ただ、私は勝利を宣言したくはない。そして、私をもって誰かの勝利だともされたくはない。といっても、私はびびっているだけだが……。

 私が部屋に戻ってから、彼らが訪ねに来ることはなかった。私はほっとした。これによって、私は誰かに勝ったのだろうか? 例えば、洗脳されたくないのにされつつある少年などに? そうでないといいなあと私は思う。

帰国

日記

日本に帰ってきた。日本での火曜に離陸し、アメリカに火曜日についた。そして、アメリカを日曜日に発ち、月曜日の夜に帰って着た。
会議自体は非常に楽しく、今、生物学、特にゲノム科学の業界において何が行われているか、そして、彼らがどのようなところまで分かってくれるかを知ることができた。具体的には、ゲノミクスという分野では、まだGWASが広く使われているということ、連鎖不均衡や、missing heritability は認知されていて、GWASを捨てるというよりは、困難を取り除くことで、まだ使えるものにしようとしたいらしかった。おそらく、見たマンハッタンプロットの数は50枚は行っていると思う。

旅行についていくつか

日記

さて、明日から旅行に出かける。外国に行くのは初めてで、したがってテンションが上がり、こんなところに書きつけているわけだ。一方で、FacebookやTwitterにこのことを書く気力はない。「あの野郎、自慢しやがって」と思われるのがオチだし、まさにそうしようと思って言うのだから当然とも言える。
このどえらい穴蔵、『地下室の手記』でネクラーソフがどえらい穴蔵といった半地下の部屋みたいなこのブログでくらい、まあ自慢させていただきたいものだ。それにしても、このブログはまさに半地下みたいだ。外の様子ははっきり見えるが、他の人がここを見ているとは思えない。しかし、それでも見せてはいるのだ!

穴蔵といえばアナグラムだ。コンピュータサイエンスの初心者にとって、与えられた文字列を、単に並び替えた文字列を吐き出すこと(これは文字列長の階乗個くらいある)、そして、その膨大な並びの中から、意味のあるものを取り出すことは、必ず一度くらいは通る実践である。
そのようなものの中には、私が天啓と思うようなもの、昼間から金麦とか麦やホップといった発泡性のリキュールを飲んでいるときに吟ずるタイプの無意味さに近いような無意味さを持っているものもあり、私には到底、こう言ったシステマチックな偶然が、とても役に立たないものだとは思えない。

ところで、前の方の席でディスカッションをしている先輩が、「評価される項目をわかりやすくしたほうがいい。『素晴らしい青春の1ページになる』と言いたいんだったらそう書かないといけない」と言っていた。多くの場合、自信のなさが暗黙的なところを生み出す。ピンチョンもそのようになったのだが、全てをつまびらかにした後で、ひたすらにポップで俗っぽいところまで行き着いた後に、それでも残る深みというものが大切なのだろう。

サンポールのソロモン的解釈

日記

 『ゼンデギ』を読んだ。なかなかおもしろい。二冊連続で、ここに書くくらい面白い本に当たるのは、めったにないことだ。
 ところで、米には六柱の神が載るという。ソースはない。そもそも、『米には六柱の神が載る』ことを正当化しようと思ったら、まず神の存在を正当化せねばならないのではないか? 違うか。ともかく、我々はその様なところには立ち入らないつもりだ。これはあなたに認めていただこう。
 さて、一方で、サンポールには三柱の神が宿っている。これはサンポールそれ自身の名前、そして名は体を表すところから、非常に自然な形で演繹される。
 私はいつも、ソロモン七二柱の話を聞くたびに、それの依代の準備はかなりのものがあったのではないかと思っていた。もちろん、彼はブラスに72柱を閉じ込めおおせたのものの、そこから特定の一柱のみを取り出さねばならぬとしたら、もちろん、それぞれの独房を作らざるを得まい。米の部屋は広すぎて、ソロモンはアモンを呼び出すときに、バルバトスとストラス、サレオス、マルコシアスにオリアスまで一緒に呼び出さなければならなくなる。ひどいねこれは。
 一方で、七二個の真鍮器は多すぎる。ここで、彼はサンポールを使ったのだろう。72 = 3 * 24。無論、この24は、2+4 = 6であり、この6という数は、旧約聖書でヨセフの前に生まれた男の子の数とぴったり一致する。これはすなわり、二四本のサンポールが、まさにダンからゼブルンまで続く六人を神がヨセフに従わせたのと同じく、72柱の悪魔がソロモンに従っていたということである。
 これはかなりまずい冗談だった。

『LAヴァイス』

『LAヴァイス』メモ

トマス・ピンチョンが書いた『LAヴァイス』を読んだ。最近、少しひどい本が多く(『オールドパンク・哄笑する』はほんやくがちょっとひどすぎてワロタぞ)、ディプレッションに悩まされていたが、この本はかなりなかなか結構良かったので、メモを残しておく。

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